「街は舞台」 特別プログラム | エルメス - Hermes

GINZA MAISON HERMÈS

Le Studio

「街は舞台」 特別プログラム
Special Program – La ville est un décor

2015.11.1(日)~11.29(日)

11月は、「街は舞台」をテーマに、映画における舞台セットにフォーカスした5作品をご紹介いたします。
ロベール・マレ=ステヴァンによるセットを舞台とした、幻の名作『人でなしの女』を含む20年代の貴重な映像や、パリ、ローマ、香港にてロケが行われた映画史における傑作たち。
街と舞台が彩る、私たちを魅了してやまない数々の名シーンから、映画の魅力を再発見しましょう。
本プログラムに際し、ル・ステュディオのプログラム・ディレクター、アレキサンドル・ティケニスも来日。トークセッションを開催いたします。
*本プログラムでは、お一人様各作品1度ずつ、全5作品をご予約いただけます。

 

  • マルセル・レルビエ 『人でなしの女』

    “L'Inhumaine” by Marcel L'Herbier

    1923年/フランス/123分/モノクロ/35mm​

    上映日:2015/11/1(日)、11/3(火・祝)

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  • マン・レイ 『サイコロ城の秘密』 +
    アレキサンドル・ティケニス トークセッション

    “Les Mystères du Château du Dé” by Man Ray

    1929年/フランス/26分/モノクロ/35mm​

    上映日:2015/11/1(日)、11/3(火・祝)

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  • ウォン・カーウァイ 『恋する惑星』

    “Chungking Express” by Wong Kar-Wai

    1994年/香港/103分/カラー/デジタル​

    上映日:2015/11/7(土)~29(日)の土日・祝日

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  • レオス・カラックス 『ホーリー・モーターズ』

    “HOLY MOTORS” by Leos Carax

    1972年/イタリア/120分/カラー/35mm​

    上映日:2015/11/1(日)、11/3(火・祝)

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作品について About Film

どの都市にも、映画監督が潜んでいる。かれは自分のリズムで都市を遊覧し、その都市の性格を見定める。かれが視線を向けるのは、果てしなく広がる都市の空間全体であり、限定された一地域であり、時にはひとつの通りや一軒の住宅である。スクリーンに映しだされた都市は、実際の都市を正確には反映していない。映画監督は現実に存在する場所をそのまま撮影したり、精巧に再現したり、別のかたちで作り直したりするが、いずれにせよ、画面に映しだされるのは、現実の場所をもとに私たちの心がつくりだした空間、つまり舞台セットなのである。

音楽が大音量で響くなか、ウォン・カーウァイの手持ちのカメラが重慶マンションを駆けめぐる。蛍光灯の青白い光に照らされた廊下はまるで迷路のように錯綜し、ショーウィンドーには雑多な色があふれ、店の奥では怪しげな取引が行なわれている。香港の街を凝縮したこの巨大な建物は、安さと早さを競いあう消費文化の王国であり、そこでは、無数の人々が日の光も射さない場所で動きまわっている。
『恋する惑星』の住人たちは、この街ですれ違う。お互いに恋に落ちながら、いつまでも出会うことなく、かといって街を離れることもできない。多くのひとびとが行き交い、物にあふれるこの街では、アパートの一室だけが心安らぐ隠れ処になる。誰にも邪魔されず夢想に耽るとき、雑踏のなかで覚えた疎外感が和らぐのだ。アパートの部屋の窓からは、ほんの少しだが、空も見える……。

一方、ヨーロッパの都市は、過去を振り返ることに向いているのかもしれない。フェデリコ・フェリーニやレオス・カラックスが自分の作品に登場するとき、かれらは私たちに招待状を差しだしているのだ。自分たちの思い出のなかへ観客を招きいれ、かれらがローマやパリとどんな関係を結んできたかを伝えようとするのである。
『フェリーニのローマ』、それは愛の告白であり、個人的なポートレートである。もちろん、そこにはノスタルジーも混ざっているが、政治や社会への眼差しも欠けてはいない。ローマという街をよりよく理解するために、フェリーニは、過去の栄光や権力を象徴する記念碑をめぐり、名所を訪ね、この街に暮らす家族を描き、罪深い快楽を映しだす。
しかし、このローマには、映画スタジオで作られた紛い物のローマがまざっている。1960年の『甘い生活』以降、フェリーニはリアリズムから距離をとって様式美を追求するようになり、伝統的なスタジオセットよりも巨大なオープンセットを好むようになった。レストランが立ち並ぶ街路、渋滞する高速道路、急な階段で昇り降りする売春宿などが、映画のためだけに劇場さながらの大きさで作られた。母親や司祭や売春婦がまるで舞台俳優のようにカメラのまえを練りあるく。フェリーニはローマを見世物に変えたのだ。この街の地下で発見された古代の壁画が、現代の空気に触れたとたんに消えさったように、永遠の都ローマが老いぼれてゆく姿をそのまま見世物に仕立てあげたのである。

フェリーニと同じく、カラックスも自分の街を断片的に捉える。謎の白いリムジンがパリの街を音もなく走りまわり、さまざまな場所を訪れていく。『ホーリー・モーターズ』という奇妙なタイトルがほのめかすように(※1) 、ひとりの映画ファン(つまりカラックス自身)が映画史のなかをさまよい歩いているのだろうか。
『ホーリー・モーターズ』は、まるでフィルム・ライブラリーのように、映画の歴史をその前史からデジタル時代まで網羅する。この旅のガイドをつとめるのは、たえず姿を変えるひとりの男である。男が姿を変えるたびに、違う映画が始まる。パリはこれまで数え切れないほど多くの映画の舞台となってきたが、こうやって見直すと、パリという街が文字どおり映画の都であったことにあらためて気づかされる。エッフェル塔や凱旋門といった表向きのイメージだけでなく、墓地や下水渠のような異色の有名スポットも含め、パリはそのすべてが巨大な舞台セットなのである。
カラックスはこの街の喚起力を熟知している。パリがスクリーンに現われるや否や、何本もの映画が私たちの脳裏に浮かぶ。もちろん、カラックス自身の作品も例外ではない。『ホーリー・モーターズ』の後半、今はもう使われなくなったパリのデパートで物悲しい場面が演じられる。そこは1991年の『ポンヌフの恋人』の舞台となった場所である。カラックスは、ずっと放置されたままだったデパートのセットに戻ってきたのである。

『ホーリー・モーターズ』の巡礼の旅は、モダニズムの美しい邸宅から始まった。この住宅は、フランスの建築家ロベール・マレ=ステヴァンが服飾デザイナーのポール・ポワレ(※2)のために1923年に建てたものである。カラックスは、1920年代のフランス映画へのオマージュとしてこの邸宅を映画に登場させたのだ。マレ=ステヴァンは当時、白い立方体を組み合わせたキュビズム風の映画セットを製作していた。『人でなしの女』(1923年)に登場する邸宅と実験室もマレ=ステヴァンが手がけたものである。
『人でなしの女』は、SF的な設定のメロドラマである。公開後すぐに上映中止の憂き目にあい幻の映画となったが、フランス美術界のオールスターが集結し、装飾芸術の集大成をめざした映画史上稀に見る作品である。どのシーンにも、旧時代と訣別し新たな時代を切り拓こうとする強い決意が感じられる。かれらにとって新時代とは、革新的なフォルムとテクノロジーがもたらす都市的なモダニズムに他ならなかった。
マレ=ステヴァンは、自分自身の作品を作るのと同じやり方で映画用の仮設建築を作った。しかし面白いことに、『人でなしの女』の製作から数年後、マレ=ステヴァンが自分の作品として設計したノアイユ邸が、シュルレアリスムの短編『サイコロ城の秘密』の舞台に使われたのである。マレ=ステヴァン自身はほとんど何も知らなかったが、かれはこうして再び舞台セットのデザイナーになったのだ。しかも、その映画はかれの建築を称えるために作られたのである。
マン・レイは、この幻想の旅をつうじて立体と影の幾何学を強調し、さらにノアイユ邸で建築と写真と映画の関係を探求した。マン・レイの視線がノアイユ邸を実験室に変えたのである。
『人でなしの女』と『サイコロ城の秘密』は、前衛的な無声映画が建築から強く影響を受けていることを見事に示している。実際の建物と舞台セットの違いはあるものの、どちらの作品でも建築が中心を占め、他のすべての要素を条件づけているように見える。建築がこれほど特権的な役割を果たしたことは、映画史の全体を見渡しても極めて稀なことである。

(※1)フランスでは、各シーンの撮影を始める際に、監督が「モトゥール」と掛け声をかける。モトゥールは英語の「モーター」と同じ語。
(※2)ポール・ポワレは『人でなしの女』の衣装を担当した。