『短編オムニバス ― 眺める、そぞろ歩く、彷徨う』| エルメス - Hermes

GINZA MAISON HERMÈS

Le Studio

『短編オムニバス ― 眺める、そぞろ歩く、彷徨う』
Short Film Selection – Regarder, deambuler, errer

2015.10.3(土)~10.31(土)

ル・ステュディオは銀座メゾンエルメス10階にある40席のプライベートシネマです。
2015年は「フラヌール - いつでも、そぞろ歩き。」をテーマにお届けいたします。
10月は、ヴィデオアートの作家たちによる、旅や都市、風景をテーマとした短編セレクション。
ブラジルからインド、香港、日本、そしてまだ見ぬ地へ、主人公たちは物思いにふけったり、軽やかな会話を繰りひろげたり。
モノローグからダイアローグまで、私たちは映像を通じて自由に世界を旅することができると気付かされるでしょう。

 

『短編オムニバス ― 眺める、そぞろ歩く、彷徨う』Short Film Selection – Regarder, deambuler, errer

*4作品連続上映 (約60分)

1. 『ブラジリア/チャンディーガル』 Brasilia/Chandigarh
2008年/フランス/26分/カラー/ヴィデオ
監督:ルイージ・ベルトラム

ブラジリアとチャンディーガル、近代建築界の巨匠たちが手掛けた2つの理想都市。オスカー・ニーマイヤーと
ル・コルビュジエが設計した建物の間を登場人物たちが彷徨い歩き、大陸を超えた2つの都市のダイアローグが紡がれる。

2. 『セントラル』 Central
2001年/10分/カラー/35mm
監督:ドミニク・ゴンザレス=フォステール
製作:Anna Sanders Films

3. 『リヨ』 Riyo
1999年/10分/カラー/35mm
監督:ドミニク・ゴンザレス=フォステール
製作:Anna Sanders Films

香港の波打つ海と降りしきる雨、京都の穏やかな鴨川。孤独にたたずむ人々や、画面の外で交わされる2人の会話。
声だけの登場人物たちが、ゆったりとしたリズムを刻みながら、メランコリックな映像にフィクションを忍び込ませる。
フランス人アーティストによる2作品。

4. 『神託』 Oracle 
2007年/アルゼンチン/11分/カラー/デジタル
監督:セバスティアン・ディアズ・モラレス
日蝕の映像と、カメラを背に海を見つめる男。印象的なプロローグののち、作家が10年にわたり世界各地で撮影したさまざまな
現実の瞬間がランダムに続く。脈絡の無いイメージの連続は、まるで「神託」のように、観る者の過去と未来を溶け合わせてゆく。
フォトクレジット:© Courtesy Louidgi Beltrame & Galerie Jousse Entreprise / © Dominique Gonzalez-Foerster / © Hermès 2015
 

作品について About Film

1990年代以降、ヴィデオアートの作家たちは旅や都市や風景に惹かれるようになり、映像による新たな空間表現や語り方を模索するようになった。ルイージ・ベルトラム、ドミニク・ゴンザレス=フォステール、セバスティアン・ディアズ・モラレスも、そのような世代に属している。かれらは美術と映像のふたつの分野で学び、現代美術のアーティストでありながら同時に映像作家としても活躍する。
今月紹介する4本の作品でも、かれらは有名無名の場所をさまよう。たいていはどこかの都会で、そぞろに歩きまわり、あるいは物思いにふける。眼前の現実をとらえるために、かれらは一片のフィクションを作品に加える。フィクションを交えることで現実の知覚にずれが生じ、人であふれかえる街路や交差点も閑散とした川岸も、想像的な空間に変貌するのである。

ルイージ・ベルトラムの『ブラジリア/チャンディーガル』は、冒頭の数ショットだけを見れば、説明的なナレーションによって進行するドキュメンタリー作品だと思われるかもしれない。オスカー・ニーマイヤーとル・コルビュジエが設計した建物のあいだを、3人の登場人物がものうげに歩いていく。ふたつの都市は、その3人の視点をとおして描かれる。もしこの3人の視点がなければ、本作は確かに、何もない場所に築かれたふたつの理想都市に関する記録映画に終わっていただろう。3人は、建物の壮大さと幾何学性を理解しようと空しく探索をつづける。ふたつの都市の建物が、大陸を超えて共鳴しあう。作品の最後に、かれらは時間が止まったような空間に立ち尽くす。現実感を失った風景が、すでに過去のものとなった「近代」を象徴する。

ドミニク・ゴンザレス=フォステールの『リヨ』と『セントラル』も、ベルトラムの作品と同様に、ゆったりとしたリズムを刻み、メランコリックな雰囲気をただよわせる。フォステールの作品では、都市の風景がまるで舞台装置のように扱われ、建物の正面だけが画面に映しだされる。ブラジルとインドの風景に代わり、ここでは、香港の波打つ海と降りしきる雨、京都の穏やかな川が描かれる。水とその有機的な力が都市へ流れこむ。
若干の動きと視点の移動はあるもののほとんど変化しない構図と長回しのカットが、独特の映像と時間の流れを作りだす。フォステールは、声だけの登場人物によって映像にフィクションを忍びこませる。かれらは作品から一定の距離を置くかのように、その姿をけっして画面に現わさない。しかし、たとえ声だけでも人間がそこに存在するということで、単なる風景が「生きた空間」に変わるのだ。
さて、この2作品には、編集形態が異なる別バージョンが存在する。台詞がなく、BGMや字幕を付けただけの単調な映像だが、物語性が薄いことでかえって、フォステールがふたつの都市にむけた眼差しがはっきりと見てとれる。フォステールはこの一連の作品をつうじて、風景があらゆる可能性に開かれる「瞬間」(モーメント)を捉えているのである。
『リヨ』でも『セントラル』でも、登場人物たちは出会いを切望している。しかし、作品の状況設定からして、その望みはまったく実現しそうにない。『セントラル』の埠頭には、大勢のひとびとが孤独にたたずみ、かれらは誰かを待ちながら、あるいは待つ人もなく、目の前の海を行き来する船をじっと眺める。ナレーターの女性も再会をつよく望んでいるが、その可能性はあらかじめ閉ざされている。誰も自分から動こうとせず、世界には空虚がひろがり、物語は反復するばかりで前に進まないのだ。
『リヨ』でも事情はまったく同様である。そこでは、カメラが鴨川に沿ってゆっくりと移動する。日暮れとともに作品は終わりを迎え、川の水は滝となって流れ落ちる。船はその滝を超えることができない。画面の外で交わされる電話の会話と同じように、袋小路に陥ったのである。

セバスティアン=ディアズ・モラレスの『神託』は、ベルトラムやフォステールの作品よりも深く社会に根ざし、広く世界に目を向ける。作品の冒頭で、日蝕の映像と男のうなじのアップが映しだされる。日蝕は神託をあらわし、うなじは男の内面を窺わせる。このふたつの映像に縁取られるようにして、さまざまな映像が連なっていく。男=預言者が、われわれの眼前に未来の映像をくりひろげるのだ。都会の人々、空に浮かぶ雲、言葉、もの……。モラレスは、この世界を形づくるあらゆる事物を10年間にわたって世界各地でカメラに収め、その映像をほとんど無秩序に繋ぎあわせて1本の作品とした。どの映像も本来の文脈から切りはなされ、ひとつの記号として立ち現れる。記号の意味を解き明かすのは、わたしたち観客の役目である。映像の脈絡が失われているために、観客はかえってそこに自分自身の思い出、欲望、世界観を容易に投影することができる。わたしたちは、自分の存在に意味を与えることができる。わたしたち自身が、カメラに背を向けて海をみつめる預言者になり、神託を告げるのである。

アレキサンドル・ティケニス(ル・ステュディオ プログラム・ディレクター)
 

上映スケジュール Schedule

上映日
10月3日(土)、10月4日(日)、10月10日(土)、10月11日(日)、10月12日(月・祝)、10月17日(土)、10月18日(日)、10月24日(土)、10月25日(日)、10月31日(土)

上映時間
11:00/14:00/17:00
 

会場 Access

銀座メゾンエルメス ル・ステュディオ
(東京都中央区銀座5‐4‐1 10階 TEL: 03-3569-3300)
 

予約 Reservation

※このプログラムの上映は既に終了いたしております。